銀行員たちが語る本気で辞めたいと思った時ディスカッションコメント一覧匿名より:オーバーに聞こえるかもしれませんが、銀行を辞めたいと思ったことは、入行して1万回くらいありました。毎日電車を待つホームで支店が放火されて燃えていないかな・・とか不謹慎なことを毎日考えて願っては苦しんでいました。そんな中でも一番銀行をやめようと思ったことは、新卒で入行して2ヶ月目くらいの頃だったと思います。仕事で大事なものを無くしてしまいました。本当のところ、それが私の責任なのか未だに真相ははっきりしていません。他の人が私のデスクの上に置いたのが最後だったというだけで、私は存在すら見ていませんでした。でも、当時は上司みんなに私に疑いがかけられていて、私のロッカーの中を調べられたり机の中を探されたりしていました。まるで犯人かのような扱いを受けていました。その事件から1週間はろくに仕事もさせてもらえない状況でした。ただ椅子に座って忙しい状況で働く先輩たちを見ているだけでした。その1週間は本当に地獄のようでした。事件当日は号泣しながら電車に飛び乗って必死で家に帰りました。自分は無くしていないのに犯人に仕立てられている状況に耐えきれず、もう仕事を辞めてしまいたいと思いました。でも、両親に「ここで会社に行かなかったら、自分が犯人であると認めることになるから絶対に会社に行った方がいい」と言われて、石のように重たい体をひきづって会社に行きました。自分の中では「もう辞めよう」という気持ちしかありませんでしたが、両親が私が銀行に入ったことをとても喜んでくれていたので、「両親に誇れる子供でいたい」という思いだけでただひたすら頑張りました。社会人になって半年も経っていない時期に本当に辛い経験をしました。でも、なんとかその辛い時期を乗り越えました。今でも犯人が誰なのか闇の中で、両親も「あれは一体誰の仕業だったんだろうね」と言ってくるほど疑問として残っています。ですが、あの時のことを教訓にして仕事に生かしてきたことで強くなれました。辛い経験も自分の財産とすることができました。あの時に辞めなくて本当によかったと思います。今でも辞めるのを止めてくれた両親には感謝しています。返信匿名より:行員として、2年目の時に、人数の関係で窓口兼出納の係りになりました。でも、まだ行員歴の短い私は、窓口の機械を先輩と共有する上に、違う窓口で受け付けたまとまった紙幣や硬貨を出納で入金しなければなりません。自分の仕事を受けていても、優先して出納をしなければいけませんでした。先輩も掛け持ちは難しいと理解は示してくれていましたが、自分が受けた現金の入金が遅いと急かすように睨んできました。遅いのは私が業務を怠っているのではなく、古い機械なので硬貨の読み取りが遅く、少しでも変形していると読み取らないからです。自分で金額を数えた上に、ほかの人にも確認で数えてもらい、上司にも確認しなければいけませんでした。でも、どれをとってもどうにもならないことは理解しており、お客様を待たせるのが嫌なので、納得していました。しかし、上司に確認しないといけない時に、今こっちは忙しいから、他の上司に確認してもらってと言われることがほぼ毎回。明らかに私が1番下っ端だから、後回しにされていました。課長が無理なら次長にと頼みましたが、それも渋々といった感じでした。どうすることもできない状態でした。支店長に言っても、次長も課長も分かりましたと、その場では話を合わせ結局何も変わらずじまい。もう諦めていた時に支店長が転勤になり、仕事ができ人望のあつい支店長に交代。業務は激変しました。次長も課長も、支店長の言うことを聞き、支店長は私の話もしっかり聞いて下さります。業務が滞りなく出来るように、配慮してくれるようになりました。毎日が嫌で辞めようと思っていましたが、上が変わったことで、雰囲気が変わって、仕事もやりやすくなりました。お客様を待たせることも少なくなったので、辞めたい気持ちも徐々に薄くなり、すぐに辞めることはなくなりました。チームで何か行う時は、1番上の人がいかに重要か思い知らされた出来事でした。返信匿名より:定期のノルマが多く、窓口対応する時にいちいちお客様に勧めていました。夏のボーナスの時にようやく、ノルマ達成したと思ったらすぐに冬のボーナスの時期になるし、ノルマ地獄が終わることはないんだ、と悟った瞬間にやめようと思いました。さらにイヤだったのが成績を回覧されることです。0件が続くと「だんご」と呼ばれ、イヤでした。ちなみに団子は串刺し団子のことで、丸が3つ連なっているように見えることから0件が続く人のことを嘲笑って言う言葉なんです。私は口下手で愛想も良くないのであまりお客さんに勧めるのがうまくありませんでした。結果、ノルマはいつもギリギリ、団子の常連でした。友人に頼むのも限界がある…我ながら結構追い詰められていたなぁと思います。ノルマだけのせいではありませんが、人間関係もわりと希薄で、個人主義なところがありました。窓口もそれぞれ独立してるので仕方ないのかもしれませんが、もっとアットホームな職場がよかったなぁと思いました。返信匿名より:私は当時田舎の地方銀行に勤めていたのですが、そこに大口取引先の娘が後輩としていました。彼女は私にも周りの人にも態度がとても高圧的でした。上司はそれをわかっていても注意出来ません。彼女が何か不満があると「父に言いつけてやる」と言うのが口癖で、どうやら父親が本部の上層部の人と親しいらしく、「絶対に辞めさせるようなことを言うな」と言われていたようです。結果上司は仕事ぶりに関して、彼女のことをよく出来たと持ち上げ、私には何もしていないと怒ってきた時期がありました。私はいくらやっても評価されず、その状況に頑張ることが馬鹿みたいに思えてきて、仕事がどうでも良くなってしまいました。耐えられなくなり、支店長に話すのが早いと思い相談しました。「彼女が大口先の娘で忖度しなくてはいけないことはわかるけど、今のような状況では私はどうしてもモチベーションが上げられない、結果周りに迷惑かけると思うので辞めたい」というような内容です。支店長はその状況は改めるから考え直してと言ってくれ、翌日からその通り私への過度な批判はなくなりました。そのため辞めることはしませんでしたが、彼女は相変わらずでした。納得できない部分もありましたが、自分が巻き込まれなければいいと思い目を瞑ることにしました。返信匿名より:業務量が多すぎて辞めたくなりました。それまで窓口担当だったのに急に外回りも兼任させられることになりました。もともと外回りは上司の仕事だったのですが、上司が無理だと匙を投げ押し付けられるように自分の仕事になりました。兼任したからといってそれまで行っていた窓口業務が減ったわけではなく、単に業務量が倍になっただけでした。お給料が増えたわけでもありません。外回りの業務での事務作業も増えて、事務所に帰ってきても忙しくて手が回らなくて少しでも窓口業務が疎かになってしまうことがありました。すると途端に窓口担当の同僚の行員に文句を言われ、あいつは仕事をしないと陰口を叩かれるようになりました。とても悲しかったので自分の仕事は後回しにし、窓口業務を優先し、みんなが帰った後に残業して残りの仕事を片付けるようにしました。毎日残業して行く私に、仕事を押し付けた上司は仕事の回し方が下手だと注意をしてきました。当時は自分がもう少し仕事ができればとどうしたら上手く回せるようになるのかと悩みましたが、今冷静になって思えばこの上司がおかしかったんだと、人としてどこか欠除されている方だったのだとわかります。忙しさと同僚と上司による精神攻撃で病み始め、ますます仕事ができなくなり、そのうち堂々と悪口を言われるようになって最後には仲間外れにされるようになってしまいました。ある朝涙が止まらなくなって仕事に行くことができなくなり、そのまま休職し、退職することになりました。返信匿名より:いわゆる、都市銀行に勤めていました。都市銀行は就職人気ランキングで常に上位にランクされるだけに一流大学出身者が多く入行します。それだけに出世の争いは激戦極まりないです。また、銀行内における人事的な評価は基本的に減点主義になってます。つまり、一度でも何か失敗すると、例え、一流大学を卒業していてもバツ評価のレッテルが貼られて、出世コースから脱落することになります。そのような企業文化であるため、支店長クラスの偉い人は、やっとの思いで登り積めた支店長の座を守りますが、部下を守る発想にはならないです。そのような支店長が着任して、支店内で何か失敗したり、貸出金の回収に失敗して損失を出すような局面になると、必ず支店長は責任を副支店長以下に負わせて、自分への火の粉は見事に回避して逃げ切ります。セクハラ、パワハラも日常茶飯事ですし、真面目に働くよりも、何もせずに失敗をしないことだけが求められます。所謂、非生産的な足の引っ張り合いで成り立つている組織です。流石に嫌気がして、転職しましたが大正解で、ややのんびりしながら生活しています。返信コメントをどうぞ コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。* が付いている欄は必須項目ですコメント名前メールアドレスウェブサイト 話題
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オーバーに聞こえるかもしれませんが、銀行を辞めたいと思ったことは、入行して1万回くらいありました。毎日電車を待つホームで支店が放火されて燃えていないかな・・とか不謹慎なことを毎日考えて願っては苦しんでいました。
そんな中でも一番銀行をやめようと思ったことは、新卒で入行して2ヶ月目くらいの頃だったと思います。仕事で大事なものを無くしてしまいました。
本当のところ、それが私の責任なのか未だに真相ははっきりしていません。他の人が私のデスクの上に置いたのが最後だったというだけで、私は存在すら見ていませんでした。
でも、当時は上司みんなに私に疑いがかけられていて、私のロッカーの中を調べられたり机の中を探されたりしていました。まるで犯人かのような扱いを受けていました。
その事件から1週間はろくに仕事もさせてもらえない状況でした。ただ椅子に座って忙しい状況で働く先輩たちを見ているだけでした。その1週間は本当に地獄のようでした。
事件当日は号泣しながら電車に飛び乗って必死で家に帰りました。
自分は無くしていないのに犯人に仕立てられている状況に耐えきれず、もう仕事を辞めてしまいたいと思いました。
でも、両親に「ここで会社に行かなかったら、自分が犯人であると認めることになるから絶対に会社に行った方がいい」と言われて、石のように重たい体をひきづって会社に行きました。
自分の中では「もう辞めよう」という気持ちしかありませんでしたが、両親が私が銀行に入ったことをとても喜んでくれていたので、「両親に誇れる子供でいたい」という思いだけでただひたすら頑張りました。
社会人になって半年も経っていない時期に本当に辛い経験をしました。でも、なんとかその辛い時期を乗り越えました。
今でも犯人が誰なのか闇の中で、両親も「あれは一体誰の仕業だったんだろうね」と言ってくるほど疑問として残っています。
ですが、あの時のことを教訓にして仕事に生かしてきたことで強くなれました。辛い経験も自分の財産とすることができました。
あの時に辞めなくて本当によかったと思います。今でも辞めるのを止めてくれた両親には感謝しています。
行員として、2年目の時に、人数の関係で窓口兼出納の係りになりました。
でも、まだ行員歴の短い私は、窓口の機械を先輩と共有する上に、違う窓口で受け付けたまとまった紙幣や硬貨を出納で入金しなければなりません。自分の仕事を受けていても、優先して出納をしなければいけませんでした。
先輩も掛け持ちは難しいと理解は示してくれていましたが、自分が受けた現金の入金が遅いと急かすように睨んできました。
遅いのは私が業務を怠っているのではなく、古い機械なので硬貨の読み取りが遅く、少しでも変形していると読み取らないからです。自分で金額を数えた上に、ほかの人にも確認で数えてもらい、上司にも確認しなければいけませんでした。
でも、どれをとってもどうにもならないことは理解しており、お客様を待たせるのが嫌なので、納得していました。しかし、上司に確認しないといけない時に、今こっちは忙しいから、他の上司に確認してもらってと言われることがほぼ毎回。明らかに私が1番下っ端だから、後回しにされていました。課長が無理なら次長にと頼みましたが、それも渋々といった感じでした。どうすることもできない状態でした。支店長に言っても、次長も課長も分かりましたと、その場では話を合わせ結局何も変わらずじまい。
もう諦めていた時に支店長が転勤になり、仕事ができ人望のあつい支店長に交代。業務は激変しました。次長も課長も、支店長の言うことを聞き、支店長は私の話もしっかり聞いて下さります。業務が滞りなく出来るように、配慮してくれるようになりました。
毎日が嫌で辞めようと思っていましたが、上が変わったことで、雰囲気が変わって、仕事もやりやすくなりました。お客様を待たせることも少なくなったので、辞めたい気持ちも徐々に薄くなり、すぐに辞めることはなくなりました。チームで何か行う時は、1番上の人がいかに重要か思い知らされた出来事でした。
定期のノルマが多く、窓口対応する時にいちいちお客様に勧めていました。
夏のボーナスの時にようやく、ノルマ達成したと思ったらすぐに冬のボーナスの時期になるし、ノルマ地獄が終わることはないんだ、と悟った瞬間にやめようと思いました。
さらにイヤだったのが成績を回覧されることです。0件が続くと「だんご」と呼ばれ、イヤでした。ちなみに団子は串刺し団子のことで、丸が3つ連なっているように見えることから0件が続く人のことを嘲笑って言う言葉なんです。
私は口下手で愛想も良くないのであまりお客さんに勧めるのがうまくありませんでした。結果、ノルマはいつもギリギリ、団子の常連でした。友人に頼むのも限界がある…我ながら結構追い詰められていたなぁと思います。
ノルマだけのせいではありませんが、人間関係もわりと希薄で、個人主義なところがありました。窓口もそれぞれ独立してるので仕方ないのかもしれませんが、もっとアットホームな職場がよかったなぁと思いました。
私は当時田舎の地方銀行に勤めていたのですが、そこに大口取引先の娘が後輩としていました。
彼女は私にも周りの人にも態度がとても高圧的でした。上司はそれをわかっていても注意出来ません。彼女が何か不満があると「父に言いつけてやる」と言うのが口癖で、どうやら父親が本部の上層部の人と親しいらしく、「絶対に辞めさせるようなことを言うな」と言われていたようです。
結果上司は仕事ぶりに関して、彼女のことをよく出来たと持ち上げ、私には何もしていないと怒ってきた時期がありました。私はいくらやっても評価されず、その状況に頑張ることが馬鹿みたいに思えてきて、仕事がどうでも良くなってしまいました。耐えられなくなり、支店長に話すのが早いと思い相談しました。
「彼女が大口先の娘で忖度しなくてはいけないことはわかるけど、今のような状況では私はどうしてもモチベーションが上げられない、結果周りに迷惑かけると思うので辞めたい」というような内容です。
支店長はその状況は改めるから考え直してと言ってくれ、翌日からその通り私への過度な批判はなくなりました。
そのため辞めることはしませんでしたが、彼女は相変わらずでした。納得できない部分もありましたが、自分が巻き込まれなければいいと思い目を瞑ることにしました。
業務量が多すぎて辞めたくなりました。
それまで窓口担当だったのに急に外回りも兼任させられることになりました。もともと外回りは上司の仕事だったのですが、上司が無理だと匙を投げ押し付けられるように自分の仕事になりました。
兼任したからといってそれまで行っていた窓口業務が減ったわけではなく、単に業務量が倍になっただけでした。お給料が増えたわけでもありません。外回りの業務での事務作業も増えて、事務所に帰ってきても忙しくて手が回らなくて少しでも窓口業務が疎かになってしまうことがありました。
すると途端に窓口担当の同僚の行員に文句を言われ、あいつは仕事をしないと陰口を叩かれるようになりました。とても悲しかったので自分の仕事は後回しにし、窓口業務を優先し、みんなが帰った後に残業して残りの仕事を片付けるようにしました。
毎日残業して行く私に、仕事を押し付けた上司は仕事の回し方が下手だと注意をしてきました。当時は自分がもう少し仕事ができればとどうしたら上手く回せるようになるのかと悩みましたが、今冷静になって思えばこの上司がおかしかったんだと、人としてどこか欠除されている方だったのだとわかります。
忙しさと同僚と上司による精神攻撃で病み始め、ますます仕事ができなくなり、そのうち堂々と悪口を言われるようになって最後には仲間外れにされるようになってしまいました。
ある朝涙が止まらなくなって仕事に行くことができなくなり、そのまま休職し、退職することになりました。
いわゆる、都市銀行に勤めていました。都市銀行は就職人気ランキングで常に上位にランクされるだけに一流大学出身者が多く入行します。それだけに出世の争いは激戦極まりないです。
また、銀行内における人事的な評価は基本的に減点主義になってます。つまり、一度でも何か失敗すると、例え、一流大学を卒業していてもバツ評価のレッテルが貼られて、出世コースから脱落することになります。
そのような企業文化であるため、支店長クラスの偉い人は、やっとの思いで登り積めた支店長の座を守りますが、部下を守る発想にはならないです。
そのような支店長が着任して、支店内で何か失敗したり、貸出金の回収に失敗して損失を出すような局面になると、必ず支店長は責任を副支店長以下に負わせて、自分への火の粉は見事に回避して逃げ切ります。
セクハラ、パワハラも日常茶飯事ですし、真面目に働くよりも、何もせずに失敗をしないことだけが求められます。所謂、非生産的な足の引っ張り合いで成り立つている組織です。
流石に嫌気がして、転職しましたが大正解で、ややのんびりしながら生活しています。